大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所松江支部 昭和25年(う)113号 判決 1950年11月15日

控訴人 被告人 全海準 外一名

弁護人 村田光雄

検察官 赤松新次郎関与

主文

本件控訴はいづれもこれを棄却する。

理由

弁護人村田光雄主張の控訴趣意は末尾に添付した別紙控訴趣意書と題する書面記載のとおりで、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

第一点について 麻薬取締法第四条第一号は麻薬原料植物の栽培はその目的が観賞用その他麻薬原料採取以外のためであつてもすべてこれを禁止する法意であると解するを相当とする。蓋し栽培の目的について法文上なんらの制限がないのみならず殊に本件で問題となつている罌粟の如きものについては観賞の対象となるものは花であるのに麻薬原料となるものは果実であつて観賞の目的と麻薬原料採取の目的とは両立併存し観賞の目的に供された後に麻薬原料採取の危険が存するからである。従つて観賞用その他麻薬製造以外の目的のための行為は植栽であつて麻薬取締法第四条第一号の栽培にあたらないとの論旨はその理由がない。されば被告人全範祚がたとい所論の如く観賞用に本件麻薬原料植物である罌粟を栽培したものとするも、また被告人全海準がたとい所論の如き事情で本件行為に出でたものとするも前記法条違反の罪責を免れないといわねばならない。次に一件記録を検討するに被告人全海準の本件所為が所論の如き事由により期待可能性のない行為とは到底認められないからこの点の所論もその理由がない。更に刑法第三十八条第三項はいわゆる法定犯についてもその適用があるものと解するを相当とするが故にたとい被告人等に所論の如く違法の認識がなかつたとしても犯意の成立に影響を及ぼさない。従つてこの点に関する所論もその理由がない。要するに論旨はすべて理由がない。

第二点について 原審第二回公判調書に被告人全範祚の供述として論旨摘録の如き趣旨の記載があり、また同被告人に対する麻薬取締員作成にかかる昭和二十四年八月十一日の実況見分調書に栽培状況2として論旨摘録の如き記載があることはいづれも所論のとおりである。しかし右実況見分調書は原判決が証拠として採用しなかつたものであるのみならず、同調書には栽培状況3として本年七月下旬刈取つたる為見分の際罌粟の生植物を認めなかつた旨の記載があり、更に原判決が証拠としてあげている検察事務官作成の巡査竹谷稔夫の供述調書謄本には同巡査が昭和二十四年七月二十日戸口調査に赴いたとき同被告人方の畑地に約五十本の罌粟が栽培してあつたのを現認した旨の供述記載があるから、これらの各記載と対照するとき前記実況見分書中の論旨摘録の如き記載は前月下旬に刈取つた罌粟の生植物を除いた残りの本数に関する記載とも解せられ従つて必ずしも同被告人の栽培した罌粟の数が六本に過ぎないとの所論の事実を肯認させる資料とはしがたい。次に原判決挙示の証拠を綜合すれば被告人全範祚が麻薬原料植物である罌粟約五十本を栽培した事実を肯認するに難くないから、原判決は原審第二回公判調書中の論旨摘録の如き同被告人の供述記載は真実に合致しないものとしてこれを採用しなかつたものと認めるを相当とする。されば原判決には所論の如き事実誤認はないから原判決が単に芽生したに過ぎないものまで法にいう栽培と認める誤を犯しているとの論旨は到底採用するに由ない。

第三点について 所論に鑑み、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠を精査し本件犯行の罪質犯情を検討するに原判決の量刑にはなんら不当の点は認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三百九十六条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 平井林 判事 久利馨 判事 藤間忠顕)

控訴趣意書

右に関する麻薬取締法違反被告事件に付控訴した趣旨は(一)原判決が事実の認定並法の解釈を誤り無罪となすべきものを有罪と認定しており、(二)仮に有罪としても刑の量定が重きに過ぎる為減刑を求むることの二点であります。

第一本件は法の解釈上処罰すべからざるものと断ずる。

之には二面の理由がある。一は麻薬取締法の解釈問題であり、他は同法が法定犯処罰法であることより違法の認識を要する点即ち犯意成否の問題である。

(一) 麻薬取締法(以下本法と指称)は本件の如き麻薬製造以外の目的を有する行為を処罰する法意とは認められない。

本法第五七条は第四条各号中1、2、3号の行為を同一刑罰を以て処罰する旨規定している。この点から見ると右各号の行為は同一処罰価値あるものと見ていると云わなければならぬ。而して2、3号は麻薬自体に関するものであるが1号はそうでない。之を同一刑罰を以て望む所以は該原料が或る目的即ち麻薬製造の原料とする意思を以て栽培せられる虞がある為であると解せられる。蓋し昭和二十年厚生省令第四六号を以て栽培が禁止せられる以前は栽培は公許せられており、麻薬自体に関する輸出入所持等の行為のみが処罰せられていたのであつて、之を新に処罰するに至つたのは国民衛生や国家政策的見地から栽培原料が容易に麻薬材料に使用せられる情勢を感知したが為で、若し之等の危険がない原料植物の栽培なら(観賞用の如き)放任行為として差支はない。従つて麻薬原料に充てる意思で植栽せられる行為のみが第四条第一号の「栽培」行為に該当するものと解せられる。

故に単なる観賞用或は麻薬製造以外の用途に充てる目的で植栽せられたものは客観的には右の「栽培」行為に該る如く見られるが麻薬製造に充てるという主観目的を欠くので右の「栽培」行為には該当しないと断ずべきである。かゝる解釈は殊更に法の文字に特殊制限を加うるが如くであるがそうではない。例えば観賞用に一、二本のケシを或は薬物入手に至大な不便を感ずる山村の僻地に生住し人手の資も持たぬ貧困者が自己の薬用とする目的で些少のケシを植栽したものも法の栽培行為に該当するものとして例外なく五年以下の懲役又は五万円以下の罰金或は其の併科刑の如き重罰を科することになるとその結果はどうであろう。民主憲法下で斯る悪法が制定せられる筈はないのである。物理的な文字解釈は厳に慎しむべくその法意を探究し制定の精神に従つて解釈すべきである。かくて吾人は法の「栽培」と「植栽」なる行為を厳別して考えねばなるまい。観賞用の為の行為は植栽であつて法の「栽培」行為ではない。栽培は一定の取引の用に供する目的で特に人工を加えて植栽する行為で植栽は単なる物理的行為を意味する。而して前者の右の目的とは本法の解釈上麻薬採取を自らするか又はその目的に供する意思を以てなされたことを意味する。観賞用や麻薬採取以外の目的を以てする行為(植栽)を意味しないこと多言を要しない。よつて麻薬製造以外の目的で植栽せられたものは法第四条に規定する栽培行為には該当しないで無罪である。本件について見ると、

(イ) 被告人全範祚は観賞用に植栽したものと認めるに足る証拠がある。

証人佐々木栄の第三回公判調書中「天崎は花を好むと見えて色々の花を作つておりますので一昨年はその花の中にケシの花があつたかどうか判然と覚えませぬ」旨の供述記載(記録九二丁以下単に丁数のみ)並被告の第一回公判調書中「作つたのは間違いありませぬが花を見る為で麻薬原料にする目的ではありませんでした」旨の供述記載(四三丁)又第二回公判調書中「ケシの花がほしかつたので六本程植えて居たのを只葉と木を捨てゝそれ丈残して居た、六本とつておいたのは花がきれいで来年も作る考であつた……」旨の供述記載(六一丁)

(ロ) 被告全海準は自己の薬用に供する目的で植栽した旨供述している。それは被告の居村は山村僻陬の地で村に薬店はなく且無医地で急病時における薬物の入手方法がない。而して被告は胃腸に持病があつて其の発病毎に遠く薬の買出に出かける遑もなく又家計貧困の為買入能力もないのである。而してその胃腸薬製造方法は「一昨年は実とよもぎを混ぜて作つたが効かないので、昨年も植えたが収穫した丈でそのまゝ家に放つておりました、それが証拠物のケシである」の供述記載(第二回公判被告供述六二丁)に徴すると(1) 麻薬製造に使用する意思はないことが判然する。即ち麻薬は未完熟裡の朔果に傷を入れそれからの滲汁を以て作るもので被告の場合の如く朔果を完熟させ、その上よもぎと混合させて作る如き場合は法に云う麻薬としての効用はなく又法に云う麻薬でもない。故に被告の右の如き主観的目的を以てした植栽は法の「栽培行為」に該当しない。(2) 被告の成育させたケシはそのまま押収物の如く放置せられており客観的にも何等の不法所為は存在しない。而して被告の右の如き薬物入手難の情況下においてケシ植物を薬用にするため植栽することは、他に入手方法を期待し得ることに付著しい困難が存すると認められるので期待可能性もないものと考えられる。かくて両被告の本件所為は共に「栽培」行為とは認められず無罪である。

(二) 本法違反行為は法定犯であり本件の成立に付ては違法の認識を要すると解せられるのに両被告とも違法の認識がないので無罪、昭和五年内務省令第十七号麻薬取締規則では麻薬自体の輸出入所持等が禁止されていたのみでケシ植物の植栽は放任されていた。それが禁止されたのは昭和二十年厚生省令第四号が最初である。其の為従来我国ではケシは観賞用又は実の食用目的で一般的に植栽せられておつた。而してケシが麻薬原料たり得ることは知ちれていなかつた模様である。故にその植栽禁止ということは他の一般花卉(菊、ダリヤ等)の植栽禁止と同様一般国民には不可能な課題であり、その植栽が違法であることは認識出来ぬ。かくて本法は法定犯であり他の違反行為は別とし善意のケシ植栽に関する限り其の違反成立には違法の認識を要するものと解すべきである。法定犯に付ての刑法第三十八条第三項の適用については判例上も議論があるが、ケシ花の植栽に関する限りは右の如き処罰法規の変遷及国民感情から刑法第三十八条第三項の適用はないものと解するを相当と思料する。蓋し植栽行為は麻薬自体の輸出入、所持授受の如きそれ自体に危険性を有する行為と根本的に異るからである。

本件に付て見ると右山口村方面でケシの栽培が禁止せられていることは一般に知られていなかつたと認められる。第三回公判の証人佐々木栄の「山口村ではケシを栽培してならぬことは一度も耳にしない。若し被告二名共違反であることを承知していたら人目につく道路傍で作らぬ筈で二人共知らなかつたものと思う」旨の証言(九四、九五丁)並同公判の証人大国繁敏の「山口村では栽培禁止のことは誰も知らぬと思う。自分も知らなかつた山本等も知らなかつたと思う、又知つていて作る様な悪い人達ではない」旨の証言(九七、九八丁)で明らかである。

各被告に付て見ても十余年前から山村僻地に居住し、文化的、法的生活から遠く見放された境地にあり共に無学(八四、一〇四丁)老年である点から到底違法の認識があつたものとは認め難い、更に植栽行為にしても公衆の目に触れる場所に作り遮蔽物も用いず公然植栽していたこと(各証人の第三回公判での証言)及被告全海準が成育草を屋外に公然吊下げ公衆に曝していたことから見ても違法の認識はなく放任されたものと信じていたことが窺える。

故に無罪である。

第二被告全範祚の所為に付ては事実の誤認がある。

原判決は事実摘示に於て「………麻薬原料植物である罌粟約五十本を栽培したものである」と判示しているが之は事実の誤認でその数は六本に過ぎない。蓋し法に云う栽培は朔果となる迄成育させねば無意味でそれ迄に間引されたものは、法の「栽培」行為にはならぬと解すべきである。証拠を案ずるに同被告が「五十本位播種芽生はしたが間引きした為成育は六本しかなく、之は翌年の種に使用する為であつた」旨の供述記載(六一丁)や被告に対する実況見聞調書中第三栽培状況の2に「播種後密生せるも間引せる為成育草は十本程度であつた」旨の記載(七六丁)に徴し明瞭である。故に原判決は単に芽生したに過ぎぬもの迄法の云う「栽培」と認めた誤を犯して居る。

破毀されねばならない。

第三仮に有罪としても量刑が不当に重い。

(一) 被告全範祚は六本のみの植栽、被告全海準は七十本の植栽としても右第一記述の様に成育草をそのまま放置していたものである。加うるに共に違法の認識はなく法の目的たる危険防止に付ての危険性も存しない。他への買却或は麻薬採取の疑もない。

(二) 共に前科もなく、性格は共に善良(第三回公判調書九五、九八丁)無学、老年、貧困、家族多数(八四丁一〇四丁)で生活に困つている。

(三) 利得はなく、改悛の情顕者で再犯の虞はない。

かかる事案に過ぎぬのに原判決の如き併科の重刑に処するのは過酷に失する。罰金納付の能力もない貧困の点を考慮し罰金刑は別除し(検事は体刑のみ求刑)体刑三ケ月執行猶予付で充分刑の目的は達しうると考える。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例